やさしい気持ち
やさしい気持ちになる時間がとても好き。
しかしながら日常でやさしい気持ちになることは頻繁ではない。
時間にも心にも余裕が無いからだ。
私は瞬発力がもともとないので、人にやさしくされたその瞬間よりも、少し時間がたってからジワジワ来ることが多い。
子どもたちがお母さんお母さんと甘えてくれてその日の寝顔を見た時や、旦那が思いやってくれたその日の夜や。
与えられた優しさに触れ、ちょうど、水たまりに石を投げた時にできる波紋のようにジワジワ広がる。
人と接することで、いいこともそうでないことも波紋のように広がる。
広がるのはできるだけいいことのほうがいい。
人は1人では生きていけない。
分担しないとこなせない。
荷物が重くなりすぎると抱えきれなくなりついには倒れてしまう。
無理なことは無理と認め、助けてもらおう。
若い頃は自分で何でもこなせていたと思い込んでいた。1人で生きて行こうと誓った日もあった。傷つくのが怖いからできるだけ人を避け存在を残さずに関わらないようにしていることもあった。相手の気持ちも考えず自分の気持ちばかりに向き合って。
私の子どもたちは今、とても臆病でそれでも懸命に頑張っている。
そばで見守る事しかできないが、ちっちゃい頭と体で懸命に生きている。
傷ついたら摩ってあげて手を当てて痛いの痛いの飛んで行け〜と言うしか無い。
見守るって難しいけど、やさしい気持ちにしてくれるから結局見守られているのは私なのかも知れない。
心を守られている。やさしい気持ちが私を守ってくれる。
今このブログを書きながら、こんな気持ちになれたから、ぐっすり眠れそう。